【魂の脱植民地化とは何か ―― 著 深尾葉子】を読んだのでメモを書く ―― ①
今日、ガッチャマンの記事書く気満々でいたけど、そういや24テレビでやらねえじゃねえか。
……代わりにデレマスの感想でも書くかな。
というわけで、この本ですが、
僕は安富歩氏の本をいくつか読んでおりまして(氏の名前で検索すればたぶん女性の服きたおじさんが出てくるよ!とってもきゃっわいい~よ!)、
その研究の関連で出版されている一連の刊行物が「叢書 魂の脱植民地化」です。
で、これはその「Ⅰ」。
いま「Ⅵ」まで出てるっぽい。
僕の好きなフロムとも密接に関連する考えです。
「魂の植民地化」とは?
【人間の本来の状態】 = 【自身の内的な感覚、情動に基づいて感情を形成し、外界に対する反応を行う】
これが歪められる、つまり、【内的感覚との接続が行われない状態】となる。
この状態だと、外界の刺激に対する自分自身の反応ができない
ではそのような状態において、どのように外界を理解し、コミュニケーションをとるか
⇛ 【外部から与えられた枠組みによって思考と感情を形成する】
そして、この外部から与えられた枠組みは、大抵の場合「与えられてたに過ぎない」ということを、自身で知ることができない
枠組みに縛られていることを知らず、それが自分であると信じながら行為する
⇛ 外部に操られた状態 = 【魂の植民地化】
この枠組は無数に身につけられる ⇛ 枠組みのパッケージ【⇛箱】を無数に人は持つ
その時々の状況において、この「箱」を参照し、外界に反応する ⇛ そこに自己はない
言わば自己の源泉、【魂】とでも呼べるものが【蓋】によって閉じられ、そのうえに形成された無数の【箱】を参照することでしか外界に反応できない状態となる
「自分自身の内的感覚によって経験される現実」と「箱を通して経験される現実」は自己矛盾を引き起こし、このとき前者は否定されるべきものとして抑圧される
またこのとき経験される感覚を【自己嫌悪】という
⇛ 箱の命令は「~べき」であり、それに抵抗する自己【⇛魂】は愛されない
箱箱箱箱箱
箱箱箱箱箱
箱箱箱箱箱 ← 自己だと思い込んでいるものたち
ーーーーー ← 蓋
魂 ← 自己
魂によって生きられない人は、常に外部から新しい箱を積み上げ、また中身を入れ替え、混乱し、矛盾している
・「箱」という枠組みは基本的に変化せず、その中身が別のものに入れ替えられる
「魂」は即興的で、常に新たな反応を示し、外界からのフィードバックを受け、主体自体が変化し続ける
この「魂」という主体は唯一無二だが、「箱」はそもそも外部にあって、複数人に取り入れられるアプリケーションのようなものなので、この「箱」を介した同調は、擬似出来な共感でしかない
・本来人間は、自己の魂に基いて自己の為すべきことを知り、またそのためのエネルギーを自己の中から取り出せるのであるが、それが蓋によって閉じられ、生きる過程の中でその上に無数に箱を積み上げてしまっている
・身につけた「箱」が自分になってしまっている以上、何が箱で、何が魂による感覚か自分であるか気付くのは困難な作業
・「うつ」は箱による駆動(魂が植民地化された状態で機械のように生きること)に疲れ果て、箱というインターフェースを緊急的に停止した状態。「うつ」状態において、何もできないのは、「箱」の命令がなければ何をすればよいかもわからないから
・「魂」による駆動は、「やりたい」という衝動とともにすぐに行動化されたり、「すでに思わずやってしまっている」ようなこと
⇛【「ねばならない」から「自然に起きてしまった」への転換】p137
・「箱」によって外界を認識する人は、他者に対しても与えられた枠組みでしか反応することしかできない
他者の魂の植民地化【⇛ハラスメント】
逆に、他者の魂を脱植民地化できるとすれば、自己の魂に基いて、他者の魂に接しようとする過程においてのみ
⇛ 【愛するということ】
・人間とは矛盾を抱えた生きものなのだ、みたいな何かわかったような言説が流布されるのは、本来内的には一貫性をもつ魂に蓋をし、そのうえに相矛盾する箱を無節操に積み上げ並べ、それを自己として生きているから
はい、というわけで心の色が灰色のはじめちゃんやゆるじいは魂が植民地化されてしまわないために自ら考え続ける御方々なのでした(爆)
しかしあれだな、マイナーな学術書ってうん千円するわ中古で安くならないわで、シリーズ揃えるの辛いわ