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ガッチャマンクラウズ インサイト 04話 感想箇条書き

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「悲しいなぁ。僕が思ってた以上にこの星はみんなばらばらです。ひとつになれば争いもなくなるのに」

「そんな争いってダメっすかねぇ」

「え?」

「何言ってるんですか先輩、ダメに決まってるじゃないですか」

「必要なときもあるんじゃないすか」

「それって人を傷つけていいってことですか」

「そうじゃないっすけど、バラバラだかこそ、バチバチィってなって、キラキラァってなるんすよ」

「ええ、よくわからないんですけど」

 

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はじめちゃんのこのセリフを聞くと、多少なりと高校倫理の授業を聞いてた人は「弁証法」を想起しますね。

 民主主義ってのは、まあ色んな考えがありますけれど、一つは単に民衆の意志を反映するというだけじゃなく、対立する意見の中から、それらとはまた違ったより高次の結論を導くというのもあるはずです。

続くシーンの会話。

 

「私は間違ったことをしたとは思いません。命より大切なものなんてないんです」

「ほんとっすかねぇ、命より大切なものなんてないんすかねぇ」

「当たり前です、命を守ってこそのヒーローでしょう」

「でも累くんはそう思ってるかどうかわかんないっすよねぇ」

「じゃあ黙って累先輩を死なせればよかったって言うんですか」

「そんなことはないすけどぉ、もうちょっと累くんに時間をあげてもよかったかもしれないっすよ」

「累先輩ボロボロになってたんですよ、見てられるわけないですよ。争いが必要とか、累先輩を助けないとか、はじめ先輩って冷たい人ですね」

「そっすかぁ? 僕冷たいっすか」

「命より大切なものなんてない。平和を愛するガッチャマンらしいセリフじゃないか」

 

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意見の対立から新しい何かを得るというのは、単に新たな意見を導き出すというのではなく、そうして対立したそれぞれの主体の変化も同時に起こるのだと思います。

変化、つまり「アップデート」。

ある種の民主主義理論では、単に意見集約のシステムではなく、主権者自体の成長というのを前提としたものがあります。

つまりそもそも対立が起こらないのであれば、人間自体のアップデートというのも起こらないのです。

 

暴力で自分の意志を相手に認めさせるのであれば、この文脈において、実はそれは対立しているようで、対立していない。

この意味で対立とは、相手に対する尊重を初めから前提している。

だから民主主義における理想的な市民というのは、自分の立場、主張を絶対的なものだと考えないんですね。

自分は完璧ではない、どこか間違えているに違いない、または、自分意外の立場というものがあるに違いないと考える。だから、それを修正し、より良く生きるために、そのように自己をアップデートするために他者の意見を聞こうと、ちゃんと「対立」しようという姿勢をもつ。

 

では、そのような姿勢をもたず、暴力で強制しようとする相手に対してはどうしたらいいかというと、暴力で対抗しても意味はないわけです(自衛ということは必要かもしれない)。

そこで、るいるいのような、ガンディー的な姿勢が出てくる。

相手を「対立」の次元まで引きずり下ろしてくるような、魂の戦いで対向するということ。

 

リズムくんは目的は達成されたといいますが、それは単にクラウズの危険性を示して、それを廃止する方へ世論を誘導するだけのことなんでしょうか。

僕にはそれ以上の意味があるような気がします。

それはつまり、「ガッチャマン」や「青クラウズ」といった暴力に対向する暴力を引き出すことなんじゃないか。

そうだとすれば、そこでるいるいとの対比が生きてきます。

結局その「対立」は、何かを生み出すような「対立」にはならないわけです。

ほら、結局、人間はその程度のものじゃないか。

 

「私が証拠です、私を見ればわかります。Xを管理している爾乃美家累が私のようにならないと、誰が言えるんです」

 

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さて、リズムくんが意味深なことを言ってますねぇ。

暴力に対抗して、るいるいは魂の戦いで応えたわけですが、結局一つの暴力装置であるガッチャマンが出てきて事態を終わらせました。

 

るいるいが闇堕ちするのか否か。

るいるいはほんと毎度涙目ですね。

 

それではネタバレですが、監督の「C」の最後、公麿と真坂木の上司の会話。

 

「何が正しくて、何が間違ってるのか随分迷っていたね。正解はない、みんな正しいんだ。みんなが世界を良くしようと戦って、そして世界はよりよくなった」
「じゃあ金融街はなんなの」
「あれがあったから君たちは出会い、戦ったんだ。意味のないものはない。どんな邪悪なものにも、どんな悲惨なものにも、かならず人類をよりよく導くための意味がある。そこを見失わないことだ」
「あんただれ」
「君が戻る世界は変わり果ててしまっている。だが君は、君たちは、とても大事なものを取り戻したんだ。それを、忘れるな」

 

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以下、るいるいのセリフ。

「僕はそうは思いません。残念ながらクラウズを犯罪に利用している人がいるのも事実です。でも、初めから上手くいくわけないんです。失敗を重ねてでも僕らは前に進むべきです」

 

 

「ミリオさん、みんなの心を一つにして欲しいんです。みんなミリオさんが言うことに共感してます。ミリオさんだったらみんなの心を一つにして、争いのない世界を作れるんじゃないですか」

 

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ゲルちゃんは「誰も悲しまない、争いのない世界」を望むみんなの声を読み取って、たくさんの人の共感を引き出すミリオならそれができるんじゃないかと考えた。

しかし、その実、ミリオがやっていることは、オーバーな感情表現によるリアクションで大衆をひきつけ、一体感を生み出し、「視聴率」を引き出すということだけ。

みんなの共感を引き出せる人間が、必ずしもみんなの望みに共感しているというわけではない。往々にして、扇動される人間というのは、単に利用されているに過ぎない。

ポピュリズムというやつですね。

 

その後のシーンでのつばさちゃん。

 

「私は、それじゃあダメだと思うんですけど、あんまりよくわかんないんで、投票のときパッと見て、良さそうな人に入れちゃいます」

 

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これである。

表面的な共感や、イメージで止まってしまう。その人物が「何者なのか」ということを「思考」できない。まさしく、自分の頭で考えないが故に「扇動される者」としてつばさちゃんは描かれる。

 

「力をもつもの 」が思考停止していたり、自分の正義に固執していたりすることほど恐ろしいことはない。

 

 

「クラウズの危険性は世に、知らしめられてしまった。鈴木理詰夢はよくやったよ。もう誰も安心してクラウズを使うことはできない」

「それはどうかしら、暴走運転があったからって、車を全部なくそうって言ってるようなものじゃなぁい?」

「クラウズは車よりはるかに危険だ。あれは人類には早過ぎる道具だったんだ」

 

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前回の記事で社会における道具の利便性と暴力性についての線引の話しをちらりと書きましたが、それについての言及。

 

 

「これってガッチャマンで話し合うことなんですか。ヒーローなんだから、目の前で困ってる人を助けていくことが一番大切なんじゃないですか」

 

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ここでも、つばさちゃんは「それを考えるべき人は誰か」なんてことを言う。

言ってしまえば、社会の秩序がいかにあるべきかなんてことは政治家(エリート)にまかせておいて、自分たち(民衆)はそんなことを思考せず、充てがわれた役割を果たしていればいいじゃんと言うこと。

 

「あの、私は2なんですか、6なんですか。みなさんそうやって偉そうに色々言ってますけど、そんなふうにひとを分けて考えて楽しいんですか?」

 

つばさちゃんに言わせると、そんなことを考える上位2割の意識高い人たち「偉そう」なのだそうです。

でもこのアニメで表現されようとしていることはそんなところにはありませんよね。

偉そうとかどうとかではなく、2:6:2とかでもなく、みんなが自ら考えなくてはいけないと。考えなくてよい人などいないんだと。

 

しかし、つばさちゃんの言っていることは、実は正しさを含んでいるのです。

つまり、「自分は考えている」ということをある種のアイデンティティにして、そうでない人を勝手に判断して見下しているだけの人というのはいる。それが意識の高い人ではなく、意識高い「系」の人ということでしょう。

 

さて、丈さんはどちらかな。

 

 

「いいっすねぇつばさちゃん。これがバチバチィのキラキラァっすよ!」

「はぁ?」

「ここんとこみんな、うぅん……って感じなんすけど。つばさちゃんは、んばぁー!って感じなんすよ」

「だから翼ちゃんは、今のガッチャマンに必要なんじゃないすかねぇ」

「よくわかんないですけど、そんなこと考えないといけないんですか?」

「いけないかどうかよくわかんないっすけど、僕は考えちゃうっすねぇ」

 

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はじめちゃんは自分の考えと違う、つばさちゃんの意見を歓迎する。

つばさちゃんはあまり問題について広く考えたり、そのために他者を理解しようという姿勢は未熟なようであるが、今の自分の立場をストレートに主張することについてはできているんですね。

ただ、ちゃんとその立場が考えられた末のものであるかは注意しなくてはならない。

 

 

ゲルちゃん杉田化で全部もっていかれるwwww

 

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「ゲルちゃんまた姿が変わったんすかぁ。コロコロ変わんなくてもいいと思うんすけどねぇ」

 

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はじめちゃんは、花澤ゲルちゃんに変身する前から、かわいいすねぇって言って抱きついてましたね。

表面的なものにそれほど意味はなく、本質を洞察(insight)するはじめちゃんらしい発言。

逆説的に、ころころと表面的なものに無思考に影響される大衆の存在を示唆する。

 

で、さらに来週のサブタイ「halo effect」ですが、「ハロー効果」という認知バイアスの一種らしいですね。

ある対象についての一つの顕著な特徴から、その全体の評価を決めてしまうとかなんとか。

もう何か説明するまでもなく、これから描かれるものがわかりますね。

 

ところで、僕の個人的な趣味で「ころころ変わんなくてもいいと思う」というはじめちゃんのセリフを考えると、人というのは「あるがまま」でいいじゃないかと言っているように聞こえる。

はじめちゃんは、人のあるがままの姿が好きなんじゃないか。あるがままの姿を尊いと思う、と言うのは僕的に言えば「愛」です。

相手が自分の都合に合わせてころころ変わってくれることを望んだりしない。

誰かをコントロールしたり、誰かに自分を承認させたりするために、自分の姿をころころと偽ることを良いことだと思わない。

 

別にそれは、あるがままで変化しないということではないですよ。

今の自分を自分で受け入れられないが故に、自分を変えようとするようなことでなく、今の自分をただ今あるがままのものだと認めたうえで、その自分のあるがままに行動した結果として、意図したわけでなく自分が成長するということがあるわけです。

それは自然な変化ですね。

自然にあるものを「都合」に合わせて作為的にコントロールしようという発想ではないわけです。

 

ちょっと話しを戻すと、みんなに愛されるゲルちゃんは、みんなに信頼されるゲルサドラ氏になったように見える。

ゲルサドラはころころと姿を変えて、大衆はころころと転がされるわけです。

しかし、ゲルサドラという存在にもきっと本質はあるのでしょう。

彼のあるがままというのがある。だからこそ、はじめちゃんはゲルサドラに対して、ころころ姿を変えなくてもいいと思うというわけです。

それはそのままで、きっと尊い。みんなが一緒じゃないと不安というのは、その尊さを知らないから。自分を愛せてないから。

「あの人」と「私」が違っていても、どちらかがより尊いのではなく、どちらも同じく尊い。

そう思えないから、みんなを「一緒」にしてしまいたいのです。

ある意味で、本質的にはカッツェと一緒なのです。

 

孤独の不安に陥るとき、それを克服するためには、誰かと一緒になるか、誰かを一緒にしてしまうか、誰かを支配するか、誰かに支配されるか、そして「愛の実践」によって合一という経験を積み重ねるかという選択肢があるのです。

 

「灰色」のはじめちゃんは、誰にも染まらない。

自分で考えて、考えるが故に自分があるはじめちゃんは、ゲルサドラが望んでも、「同じ」にはなってくれないのです。なることができないのです。

できるとすれば、「違う」ということを認めたうえで、少しでも理解しようと歩み寄ることだけ。

それは苦しいことだけれど、その先にこそ空虚でない、本当の「合一」という奇跡がありうる。

それから逃げているゲルサドラがはじめに懐かず、つばさに懐くのは必然なのでした。

 

 

「はじめたぁん、あいついよいよヤァバイっすよぉ! これ以上野放しにしてたら、ミーがガクブルビッチす! 助けてはじめたぁん! いやぁっちゃいしょ。サドラいやぁっちゃいしょ」

「寝るっす」

「ゲ、しかとかよ! 相手しろよ! おもんないな! ビチビチビッチ! クソビィイイッチが!」

 

カッツェがびびってんのはなんでっすかね。

まあ人をバラバラにし相争わせるカッツェと正反対なのはわかりますが。

やっぱ、ゲルちゃんはきな臭いっすね。