ガッチャマンクラウズ インサイト 9話 感想 「原始人(サル)へ還りたいみんな。人間への可能性を見るゲルサドラ」(7619文字)
ガッチャマンクラウズインサイト第21話「opt-out」の感想を書いていきます。
(衝撃! 人を飲み込む床屋のサインポール!)
空気を乱すもの、空気に従わないものを問答無用でくうさまが呑み込んでしまっているようです。
実際の社会であっても、法の名の下に異分子は排除されるのは一緒ですが、誰を排除するのか、その場その場の流動的な空気だけが基準であるというは、まったくお話が別ですね。
現実的には小集団内におけるローカルなルールに、市民社会の規範が影響力を失くす状況なんてのが関連する問題としてイメージできるかな。いじめとか。
(人を飲み込むサインポールの都市伝説に衝撃を受けるつばさちゃん)
「なにこれ……っ」
(^^)
まあ当然の反応ですね。かなりの無知っぷりを披露していたつばさちゃんですが、この状況になってもお花畑でいるようだったら、いよいよ精神干渉みたいな要素を本気で考慮しなくちゃいけない展開です。
(でけぇ……)
「でもくうさまはくうさまで、ゲルちゃんじゃないんすよねぇ」
「くうさまは、空気っす!」
「これ、ゲルちゃんじゃないっすね」というのを、「これを生み出したのはくうさまでない」という意味だと前回の感想で書きました。
で、くうさまは、「みんなの心」なんじゃないかとも書いたわけですが、「空気」というのが厳密な正解のようです。
(「opt-out」。(何かから)抜け出ることという意)
(「創世記:楽園」のステージがダンボールのハリボテであると強調する構図)
「みんなを一つにするためだよ。一つになれない人が消えちゃえば、みんなもっともっと一つになれる。それはとても素晴らしいことだよね」
「人を飲み込むなんてだめ! 今すぐやめさせて!」
(やべえよ……やべえよ……)
「こんなやり方で一つになったって、何も意味ない! お願い、ゲルちゃんくうさまを止めて!」
「無理だよ、くうさまは僕が動かしてるわけじゃないんだ。それに、もう少しでみんな、一つになれるんだよ」
「そんなの一つってことじゃない!」
「つばさちゃんが何言ってるのかわからない」
「私、ずっとゲルちゃんとは同じ景色を見てるんだと思ってた。でも、違ったんだね」
タイトルの「opt-out」は、どうやらつばさちゃんのことを表しているようです。空気から抜け出すという意味では、清音もそうかも。ああ、もう一人終盤で「抜けだした」人がいましたね。
ゲルサドラは、今の状況にご満悦のようです。とにかく、宇宙人ゲルサドラとしては、「ばらばらであること」がストレス状況のようで、「一つになること」ではなくて、「ばらばらでないこと」がお望みの様子。だから、「排除」という手段は選択肢から取り除かれないようです。
それに対してつばさちゃんは、「ばらばらでないこと」ならなんでもいいのではなく、ばらばらなみんなが「一つになること」を望んでいました。で、彼女の無知は何かというと、再三指摘してきたように、本質的に人は「みんな違っている」ので「一つにはなれない」ということを、まだ経験的に納得出来ない精神的未熟さであったわけです。
「私、ずっとゲルちゃんとは同じ景色を見てるんだと思ってた。でも、違ったんだね」
つばさちゃんはゲルサドラと共に、ばらばらなみんなを一つにできると信じて頑張ってきた。でも、ゲルサドラは、ばらばらでなければなんでもよかったのです。
あのつばさが夢見た楽園は、ハリボテに過ぎなかったということが明らかとなりました。
この経験はつばさちゃんにとって重要ですね。
一つだと思っていたのに、本当は違っていた。
でも、そこで悲しみに暮れて、絶望して終わりでしょうか?
重要なのは「違う」ということがわかったあとなのです。
「一緒です、ゲルちゃんは何があっても、わたしのかわいい弟です!」
「何があってもっすか? 」
(返事がない、すでにくうさまに喰われたようだ)
(見えているものを見ようとしない。幻想を維持するために現実を否認する先週までのつばさちゃん)
「くうさまから離れろ、奴らは人間を飲み込むんだ!」
「そんなの飲み込まれるやつが悪いんだろ!」
「突然ですが驚きのライブ映像をお届けしました。一国の首相を拘束しようなんて前代未聞だよこんなの。今回のガッチャマンの行動について、早速ネットアンケートをとってみました! 結果はこちら!」
くうさまを生み出したのが人々の心だとすれば、くうさまの行動を人々が否定し切れないのは当然ですね。
人を飲み込むという行動に恐怖心を抱き、間違いを感じながらも、それを望んでいるのは人々自身。
(清音……)
(俺はこのピンク髪の子は良い子だと思ってたんだ。ほんとほんと)
リア充大学生の繋がりが、所詮は「空気」に過ぎなかったことが明らかとなる。
ピンクの子はその限りではない思いを清音に抱いているようだが、くうさまの恐怖の前に自分の意志をのみ込んでしまう。
清音……イキロ。
(なでなで)
(ポニテのはじめちゃんもかわいいなぁ)
「でも、それはゲルちゃんじゃなくて、みんなが作りだした空気っす」
「くうさまは空気か、確かに、それなら色々と説明がつくな」
「空気を読んで、みんなの言って欲しいことを言ってあげてるわけね。そりゃ仲良くなれる、気持ちいはずよねぇ」
「ちょ、ちょっと待って下さい。じゃあくうさまが人を飲み込むのは? あれはみんなの意志だって言うんですか!」
「くうさまはずっと同じことしか言ってないっすよ。一つになりたいだけっす!」
「空気を乱す人間、空気を読まない人間を消せば、みんな一つになれる。理には叶ってるな」
(半跏趺坐)
どうやらカッツェのクイズの答えが、そのままくうさまの正体でもよいようですね。
「空気」というのは、クイズの解答としては一番しっくりくるものだと思います。
個人的にはカッツェが好きというので、2番目の候補にあげてましたけれど、「入れる」「出す」と一番整合するのはやはり「空気」ですね。
(元々お堅くて人付き合いが苦手だった清音は、たとえ空気に過ぎなくてもリア充ごっこが楽しかった)
「空気ってそんなに悪いものですか。俺、ここんとこ空気に浸かりっぱなしでした。ていうのも、今気づいたんですけど。ガッチャマンてだけでみんなちやほやして くれて、女の子もいっぱい寄ってきて、好きでもないカラオケみんなで行って、大しておいしくないバーベキューみんなで食べて、そういうの凄く楽しかったん です! 何も考えなくても楽しいなんて、凄いことじゃないですか! 空気に流される幸せだって、あっていいじゃないですか!」
(うつつちゃん、かわいいけど清音くんの話、聴いてあげて)
(脇が見えない。これはおかしい)
「そうっすねぇ、空気の中はぽかぽかほっこりっすもんねぇ。でも、外に出ちゃったらどうなんすかね」
空気の外に出る。「opt-out」ですね。
お肉が焼けすぎていたの、相当嫌だったようです。
でもみんなで仲良く食べれば焦げ焦げお肉もおいしい!
確かに、何も考えず、自分を持たず、流されるままに空気に溶け合うのは気楽で、結構楽しいものなのかもしれません。
でも、そんなぬるま湯のようなところで生き続けたらどうなるか。
それはそこでしか生きられない人間になることを意味します。
これには2重の意味がある。
一つは、空虚な自分と向き合わなければいけないということ。
「孤独の不安」ということを言ってきましたけれど、自分がない人間は、即ち、生きていないのです。一人になると、死んでいる自分と向き合わなければいけない。それはとてつもない恐怖です。
そしてもう一つは、空気に入った人間はそこから出ることを許されないということ。このあとくうさまによって空気から「opt-out」した人間が排除されるシーンが繰り返されますが、空気の中で生きても幸せなら良いじゃんという清音に対して、でも「外にでちゃったら?」というはじめちゃんの指摘の通り、そこには永遠に終わらない排除だけが待っているのですね。
「お前の言う通りだ、清音。何も考えず、空気に流されたほうが幸せな人間は大勢いるんだろう。だが俺は気に入らない」
「どこ行くっすかぁ」
「こんな世の中にした責任は、ゲルサドラを首相にした俺にある。だからケリをつけに行く」
そういう意味で、葛藤しながらも最終的には自分で決断し、矛盾を抱えながらも覚悟をもって行動する丈さんは、ちゃんと個人主義者だと思います。ですから、僕としてはゲルサドラを首相に押し上げてしまった結果は何かまずいことに繋がるのじゃないかと、物語的にはありそうなので、それに対する責任に丈さんが向き合う展開を期待しますね。この点は、ゲルサドラを支持した大衆の責任をどう描くかということとも関わってくるお話だと思います。(たぶん愚かなサルの群れの姿が描かれるのだと思います)
ガッチャマンクラウズ インサイト 05話 感想箇条書き - メモ帳
というわけで、丈さんは自らの行動の結果に対して、個人主義者としてその責任に向き合うようです。
(戦いに赴く丈さんはかっこいい)
「ゲルサドラ、お前は俺が倒す!」
「空気の中に居れば、確かに気持ちがいいのかもしれない。だが、行き過ぎた一体感は、外に出ようとするものに無言の圧力をかける。そうなったら、人は自分で考えて動けなくなってしまう!」
「一つになったほうが、みんな幸せでしょ? どうしてわからないの、丈さん」
「一時的に幸せになれたとしても、それでは、社会は成り立たないんだ!」
空気の中でしか生きられない人間だけの社会には多様性は存在しません。
個々人が単なる社会の歯車になれば、それぞれのユニークな自己発展もない。
じゃあその先に生き残る社会は何かというと、原始人の世界だと思います。
僕はエーリッヒ・フロムを参照して、人間は「~からの自由」を手にしたと言いましたが、その逆、ようは自我を棄てて自然に帰るみたいな話ですね。
さて、ではそれはどのような過程で為されるのでしょうか。
もう言った通り、永遠に終わらない排除の末に、です。
自我を持った人間は、一つにはなれません。それでも無理やり空気に適応し続ければ神経症になります。
そうなったときに噴出する「異質」は、社会の病巣として隔離・排除される。現実の世界でも身近に、そこら中で行われていることです。それをくうさまが徹底して、肩代わりしてくれるだけ。
そうやって排除し尽くした末に残った原始人(サル)だけで楽園を築き上げるわけですね。
ゲルサドラがやっていることの先はそんなものだと思います。
「フェニックスダーイブ!」
「イノセントストーム!」
「イノセント、トルネード」
「うおああああああああああああ!!!!!!」
丈さん……。
(選挙のとき、寂しそうな幼女を元気づけるためにゲルサドラと一緒に三人で遊んだ公園)
(パニックホラーのヒロイン状態)
(内側が空模様の傘)
「風邪ひいちゃうっすよ」
(閉じると赤い傘。赤いアイテムというと、1話ではじめちゃんがかわいいっすねぇーって言ってたつばさちゃんの赤い靴を思い出す)
(実際にこういうのがある模様)
「私、もうわかんなくなっちゃいました。誰も傷つかない平和な世の中を作りたかっただけなのに」
「つばさちゃんはきっと走りっぱなしだったんすよ」
「え?」
「それがつばさちゃんすけど今は一回立ち止まるときかもっすね」
「でも、立ち止まって何をしたらいいんですか?」
「ううん、そうっすね、ゆるじいに聞けばいいんじゃないっすか?」
「ゆるじい……わかりました、わたし長岡に帰ります。先輩今までお世話になりました」
(乗せるなwwwww)
「待ってるっすよ。ゲルちゃん救えるのは、きっとつばさちゃんだけっすから」
「え?」
「ひーろーってなんすかね♪ なんなんすかねなんすかね♪(ry」
遠大な理想への可能性を見て、盲目に走り続けてしまったつばさちゃんは、ゲルサドラという宇宙人と自分とを分かつ隔たりに、それまで見えていなかったものがみえるようになる。
街の中ではくうさまが蔓延り、それぞれ違うということを許容しない空気が個人を抑圧し排除しようとしていた。
自分が理想としていたものはなんであったか。
寂しそうに公演の滑り台に座る女の子を元気づけるため、ゲルサドラと三人で一緒に遊んだあのときの思いでこそが、自分が望んだものではなかったか。
結局、あのときの気持ちは、ゲルサドラとは共有されていなかったのだろうか?
本当に、そうなの?
「待ってるっすよ。ゲルちゃん救えるのは、きっとつばさちゃんだけっすから。ひーろーってなんすかね――」
(自分で考えた清音は、身体が勝手に動いてここまで来てしまう)
「少しだけ、自分で考えてみたんです。そしたらなんか、丈さんのとこ行かなきゃいけない気がしてっ――」
(共に助けあう丈さんと清音の姿を見たゲルサドラはつばさの名を口にする)
「つばさちゃん……あ――っ」
(ガッチャマンを退けたゲルサドラは、雨の中一人佇む)
僕は最近安富歩の「合理的な神秘主義」という本が面白くて、その考え方にはまってます。
合理的な神秘主義?生きるための思想史 (叢書 魂の脱植民地化 3)
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20世紀の歴史がなんであったかというと、人間はその合理的理性でもって全てを解き明かし、記述し、その力でもってこの世界を楽園へと導けるという信念の元に歩んできたわけですね。
しかし、一方で科学や哲学によって明らかになったことは、人間の合理性がすべてを記述することは不可能であるという事実でした。
ここからさらに明らかになることは何かというと、合理性を絶対化するのであれば、人は幻想を合理的な事実だと信じ込まなければならないということです。
しかし、それは幻想なので、そのような合理性は必ず失敗へと陥らざるを得ない。
それを「神秘的な合理主義」というわけです。
しかし、完全な合理性などというものを人間が有せなくとも、事実、この世界はたくさんの秩序を生み出し、たくさんの豊かさを生み出してきた。
それは人間の合理性とは無関係に現にそこに存在する「神秘」なのですね。
よって、その「神秘」をコントロールしようとする合理性が、「神秘」の発動を歪めてしまう。
ならば、我々が「合理性」という能力を、「神秘」の発動を歪める原因を取り除くことに使うべきである、というのが「合理的な神秘主義」なのです。
はい、なんでこんなわけのわからない話しを唐突にぶっこんだかというと、この話は「身体性」と密接に結びついてくるからです。
清音は、「自分で考え」て、なんだか丈さんのところへ行かなきゃいけない「気がした」。
そして、はじめちゃんの「考える」ということと、つばさちゃんの「身体が勝手に動く」ということ。
ヒーローってなんなのか。
僕にはこれが、「合理的な神秘主義」に見える、という話でした。
ヒーローってのはなぁ、ちゃんと「自分の頭」で「考え」たうえで、「身体」が赴くままに走りだすもんなんだよっ!
それともう一つ、ゲルサドラは一体何を見たのか。
ゲルサドラが見ているものは「可能性」です。
異質なものを全て排除して、自分と同じものだけの世界を作ることが本当に幸せなのか。自我のある存在にとって他者は脅威ですが、同時に必要とするのが、別個の自我なのです。
「個」のない宇宙人であったゲルサドラの中に芽生えたものはなんなのか。
「そうか、おめでとう。爾乃美家累のアップデートは、どうやらここで終わりのようだな。君はつまらない人間になった」
(リズムくんの蔑む視線と言葉に、るいるいは何を思うのか)
(幼女も見境なく喰っちまうとか、くうさまとんでもねえHENTAIだな)
WHITE ASH!!!!
(世界の幻想を暴き立てるのは、子供の感性しかない)
「うそつきいいいいいい!」
(負傷中の清音には悪いが、うつつちゃんのセクシーな格好にしか目が行かない)
(今週のJJ様の有り難い予言)
赤き指揮者が旋律を
変えるとき
人は自らの色を失い
色無き風に
過ちの牙を突き
立てる
(刑務所から抜け出すリズムくん)
「気分が変わった、空気を変えてやろうと思ってな」
おお、リズムくんが何やらかっこいい。
きるざくらうずぅとか言ってたころの君を、小物臭いとかいってごめんね!
(予言の意味を読み解いたはじめちゃんは迷わず駆け出す)
「ゲルちゃんを、守りに行くんすよ!」
(閉ざされた楽園の前で、一人座り込むゲルサドラ)
(視界が開けたつばさちゃんは、一度ゆっくり深く考えるために、長岡のゆるじいの元へと帰途につく)
このJJの予言は分かり易いように思います。
前回の感想記事で、「なにがあっても?」というはじめちゃんの言葉について言及したあれです。
どうやらその扇動をするのがリズムくん(赤き指揮者)であるようですね。
そしてやはり、ゲルサドラを救うのはつばさちゃんの役目のようです。
ハリボテの前に一人座り込むゲルサドラはもう地球に来る前の彼ではないと思います。
個がなければ、みんな一緒でも寂しくないかもしれない。
でも個がある人間に必要なのは自分とは別の個なのです。
ゲルサドラの中にそれが芽生えたのであるとすれば、彼はもう何の迷いも持たずにいるわけにはいかない。
「~からの自由」は後戻りできない。「~への自由」を実現するために、個人を生きるしかないのです。
さて、長岡のゆるじいは大丈夫なのでしょうか……。
ガッチャマンクラウズインサイト21話「opt-out」の感想でした。
つばさちゃんの変化が唐突に感じられるかなというのはありましたが、ゲルサドラとの決別がもたらすであろう気づきを考えると、まあ無理はないかなと思います。
それぞれの葛藤と、それぞれの気付き。
そこへリズムくんの暗躍。
お膳立ては整ったと思います。
あとは駆け出すだけ。
ヒーローってなんなのか。
答えはすぐそこ。
ところで、飲み込まれた人たちは、1期MESSのときもサルベージされる設定があるので、普通に戻ってくるでしょう。そこらへんは結構ご都合な感じなので僕はあまり気にしようと思わない感じですね。それでは。
おしまい。