ガッチャマンクラウズ インサイト 07話 感想箇条書き(5992文字)

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・O.Dが完全に干され、パチもん(D.D)がレギュラーにwww

 

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 ところで、O.Dって名前はどんな意味なんです?

 誰か教えてくれます?

 

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「この子、訴えてやろうかしら」

「O.D、目が本気」

 

 

・清音ェ! お前男の友人居たんか!

 

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 クラウズ廃止に少なからず衝撃を受けてますね。

 清音くんも何も考えず遊んでばかりのサルのままではいられなくなるのか。

 

 

・見知らぬ人で、声をかけて、助けあって、心が一つになった(と思い込んだ)ときにする合図、それがゲルサイン! ゲルルゥ!

 

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 くっそかわいい

 

 

・「不安」を解決してくれる誰かを望む大衆

 

「仕方ない、これは反動だからな」

「反動?」

「ああ。俺達のしてきたことに対する反動だ。クラウズは早すぎた。結局争いを生み、その反動で急速に平和を望む流れが生まれた急ぎすぎたのは俺たちの方だったんだ」

「平和を脅かしていたのは、VAPEじゃなく僕だと」

 

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 大衆を操ろうと思うとき、最も効果的で頻繁に用いられる方法はなんでしょうか。

 それは「不安」や「脅威」を煽ることです。そして、それをもたらす「何か」に攻撃の矛先を向けさせる。

 現実の政治では、大抵その背後には「利権や金」の流れがあるように思います。扇動された大きな流れによって利益を得る存在がいるわけですね。

 

 ただまあ、今回の話については、結果的にクラウズに対する不安が、ゲルサドラ支持への流れに作用しているので、また違ったお話かもしれませんが。

 しかし、重要なのは、大衆自身がその流れの背後にあるものに敏感でなければいけないということですね。でなければ、いつでもなしくずしに極端から極端へと流れてしまうし、現実の政治であれば誰かの利益のために操られることになる。

 

「累、しばらくクラウズのことは忘れろ。反動ってのはすぐに収まる。この星の平和を守るのはゲルサドラじゃない。俺たちなんだ」

 

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・ヒトを超越した存在を教祖と崇めるカルト宗教。

 

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「無理もないよねぇ、ゲルちゃん、みんなのために毎日寝ないでおまけに何も食べずに頑張ってるんだもん^^」

「みんなの心を一つにするためになら、いくらでも頑張れるよ。幸い、僕の星では、眠るって習慣や、納豆はメロンパンもないし、宇宙人が首相でよかったね^^」

 

 尊すぎて涙が出る……っ。ああ、教祖様っ!

 

 

・今週のJ.J様のありがたいお言葉

 

  真紅の天使    

  やがてその形を  

       変え  

  優しき歌たち   

       現る  

  彼らの名は    

  一つではない   

 

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 真紅の天使(ゲルサドラ)が空気を吸いすぎて肥えて、優しき歌(くうさま)が現れましたね。くうさまの「くう」は「空気」ですかね。優しき歌ってのはどういう意味なのかな。彼らの名前が一つではないってのは、「個」がないととれますが、さて。

 

 ただ、お話に関係ないかもしれんですが、個人的に「アイデンティティの重層性」とか連想します。そもそも「自己」というのは何かこれって一つに定義できるようなものではないと思うんですよね。まあとりあえず今ここで深く掘り下げるのはやめときます。

 

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 フランス国旗。トリコロール柄の鳥たち。

 Wikiによると「自由・平等・博愛」を表すという俗説、というか間違った説がある(実際にはパリ市民軍の標章に白が加えられたものに過ぎない)らしいですが、何故この柄なんでしょう。

 

 

・みんな争いの絶えない世界に飽きたんです

 

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「今のゲルちゃん人気なんてただのブームだとか言う人も居るみたいですけど、私はそんなことないと思います。きっとみんな、飽きちゃったんですよ」

「ん、飽きた? 何にっすか?」

「争いの絶えないこの世界にです。生まれてからずーっとそんな世界を見てきたから、みんたやっと気づいたんですよ、本気で心を一つにして、平和な世界を作ろうって」

「うんうん、実に素晴らしい」

「素晴らしすぎてちょっと不安だけどね。平和を気にしすぎて言いたいこと家なさすぎぃってなったら、困っちゃうしぃ」

「うつうつします」

 

 みんなが一緒で多様性のない世界に飽きるってならわかりますけど、争いの絶えないこの世界に飽きるとは面白い発想をする。争いの絶えない世界にうんざりするのでなく、飽きたと言う。

 ……どういうことだ?

 

 そして、O.Dは対立や軋轢を恐れて何も自分の気持ちを言えなくなることを心配する。

 うつうつします。

 

「大丈夫ですよ、だって今こんなにうまく行ってるじゃないですか。ね、清音先輩」

「え、ああうぅん。確かに周りの仲間たち、前より楽しそうだし、いい方向には進んでると思うけど……」

 

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 女の子はべらしてリア充していた清音くんも何か腑に落ちないものを感じている様子。

 

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 ピースをゲルサインに矯正されて不満そうなはじめちゃん。かわいい。

 

 

・何も見えないつばさちゃん

 

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「ゲールちゃん、ちょっと休んだら?」

「大丈夫、ほら、元気そうでしょ」

「おお、確かに昨日より健康そう」

 

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「お前、どうしたんだ」

「え」

「何がですか、丈さん」

「その体」

「もう、みなさん心配し過ぎですよ。いつものゲルちゃんじゃないですかぁ。ね?」

 

 みんなの空気を吸ってゲルサドラのお腹が大きくなりましたね。

 何度か体調が悪く苦しんでいるような描写がありますし、どうやら負荷がかかる模様。

 しかし、その変化に対してつばさちゃんはまったく気付くことができません。

 これは、ゲルサドラの影響で何か認知がおかしくなっているのかどうか。

 そうでないなら、つばさちゃんの極端なまでの視野の狭さが描写されているのか。

 

 

・大地と海と空、太陽と月と星 ――「創世記」。そして、林檎の樹と蛇。

 

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 であるとすれば、ゲルサドラとつばさちゃんは、アダムとイブですかね。

 これもよく聞く話だと思いますが、ヘビにそそのかされたイブが禁断の木の実を食べたことで、彼らは自分の性の違いを知ることになります。ようは、人間は「知恵の実」を食べて、「自己」という認知を得るわけですね。この瞬間、人は自分は自然から切り離され、また他者とは違う個体であるという認識を持つようになる。そして、「孤独の不安」に苛まれるようになるわけです。これが、「原罪」。禁断の木の実を食べてしまった人間に与えられた罰なわけです。

 であるとすれば、「楽園」は木の実を食べる前の状態。人間が自然から分かたれる前、「孤独の苦しみ」を知らなかった頃の状態だと言える。つまり、何故二人がこの背景を背負っているかというと、みんな一つになって楽園へ帰ろうよという気持ちが込められているのだと思います。

 

 しかし、それは逆に言えば、「自己」を放棄するということです。

 エーリッヒ・フロムは、自然から切り離され孤独の不安を抱えた人は、以前なら共同体の中でそれとなんとか折り合って生きていたといいます。しかし、物質的な繁栄とともに、共同体に変わって「経済」という大きな論理が人々を支配するようになりました。人々は共同体から切り離されても溢れるモノの中で生き延びられるようになった。それを「~からの自由」といいます。

 しかし、そのことは人を孤独の不安から解消させはしなかったわけですね。いや、むしろ孤独を深める結果となった。「~からの自由」は苦しいのです。だから人は、また自分が依存できる対象を探してしまう。強いカリスマに結びついたり、国に自己のすべてを投げ出したりする。それが「自由からの逃走」です。

 

自由からの逃走 新版

自由からの逃走 新版

 

 

 しかし、一度「~からの自由」を知った人間が、再び共同体の束縛へと戻れるかというと、それは難しいわけです。今更「経済」をやめることはできない。だとしたら、「~からの自由」だけではなく「~への自由」を手にしなくてはいけないというのが彼の主張です。はじめちゃんは、まさしくこの「~への自由」を実践する人間だと僕は思うのですよね。まあそういうことをガッチャマンの最初の記事で書きました。その中身についてあれこれ書くのも面白いかもしれませんが、きりがないのでここらへんで。

 

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「ゲルちゃんは、みんなの気持ちに気づいたんです。みんなずっと不安に思ってたんです。いつまで経っても、こころが一つにならないから!」

 

 

・サドラにおまかせ!

 

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「そうか、わかったよみんな」

 

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 ついに、「サドラにおまかせ」ボタンが追加されました。

 恣意的に提示されたの選択をYES/NOで答えるだけという時点でかなりやばいのですが、ここにきて完全に思考停止するという選択を得たわけです。

 自分が何について考えるべきかも、どのような選択をするべきかも、すべて誰かに教えてもらい、決めてもらう。

 

 ある意味、空気を読むといことの次のステージじゃないかという気がします。

 空気を読むというのは、少なくとも、周囲の人間の考えていることを推し量る必要はある。そのうえで、それに抗わないという選択をするわけです。

 しかし、それまでも教えてもらうというのは、また一段階次元の異なる話なんじゃないかと思います。ほんっとうに、何も考える必要がない。

 そのようにして成立する世界があるとすれば、それは完全に誰かにデザインされた社会でしょうね。その社会を維持し、作り上げていくために人々が内発的にすることは何もないような社会。決められたことを、言われるがままに従って生きていくだけ。そこでは自分の意志や感情を無視しなければいけません。当然、他者のそれが表現されることもなければ、それを知る機会もない。他者や社会について何も考えないし、何も知ることもできない。

 

 正直僕は社会主義についてはまったく詳しくないのですが、確かマルクスの考える世界というのは、この逆で、むしろ内発性の発達した諸個人が自ら自発的に社会の秩序を維持していくような方向性だったと思います。それがどこまで現実に可能なのかは謎ですが。

 そういう意味では対極にあるようなリバタリアニズムというのも根っこに同じものがある気はます。

 しかし、それが自発的な諸個人の助け合いで小さな社会秩序を実現していくのか、大きな政府を運営していくのかという結果としての違いがあるということなのですかね。

 

「ゆるじい代わりに押しとくぞ。おまかせ」

「よせ、自分で考える」

 

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 相変わらずかっこいいゆるじい。

 しかし、大多数があまりに愚かに描かれている感じはありますねww

 まあ作劇の都合というやつ。

 

 

・つばさの意志。ガッチャマンとの決別。

 

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「サドラくん、今日の決定、すぐに取り消してくれ」

「でも僕はみんなが望んでいたから」

「こんなことをしたら、みんな思考を停止して、世界は急速に後退してしまう」

 

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「もうやめて……」

「ゲルちゃん、これは争いかもしれないっすけど、別に悲しくはないっす。みんなそれぞれ答え探してるだけっす。怖がっちゃだめっす」

「だけど僕は怖いんだ。やっと一つになったみんなの心が壊されるのが……」

「やめて下さい先輩。ゲルちゃんがかわいそうです。私、みなさんとは一つになれない気がします」

「つばさちゃん、一つっていうのは――」

「先輩が言った通り、あたしはあたしです。例え、ガッチャマンとして認められなくても、ゲルちゃんと一緒にみんなの心を信じます」

 

 一つになることを目指しながら、自分の主張を受け入れようとしない他者には排他的なつばさちゃん。そんなつばさちゃんにはじめちゃんが何かを言いかけますが、食い気味に決別の意志表示をするつばさちゃんに遮られてしまいます。

 

 さて、またいつものごとく、僕の趣味のはなしですが、ここには両者の「一つ」の意味の相違があるように思います。

 つばさちゃんが目指す一つというのは言ってしまえば幻想ですね。話しあえば、自分の主張で説得すれば、相手は自分の思うように同じ感情、同じ意志を持ってくれると信じているのです。

 しかし、現実にはそんなことありえません。人はそれぞれ違う感情をもっているし、違う利害をもって生きているのです。何より、文字通りの意味で、他者の心を知ることは出来ない以上、「孤独」は避けられない事実です。

 はじめちゃんはそのことを知っているから、「一つって言うのは――」と説明を試みるのですが、遮られてしまいました。その中身について僕的な考えは、前回の記事や1期の感想記事で書いたので割愛。

 

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 自分の主張を遮られても、つばさちゃんの言葉を笑顔で受け止めるはじめちゃん。

 つばさちゃんは思考が足りないし、未熟が故に間違っているのかもしれないが、気持ちを正直に吐き出していることは本当なのかもしれません。はじめちゃんがつばさちゃんが必要だというのは、むしろつばさちゃんがガッチャマンに適応しようとしないからなのかもしれませんね。

 ただ、相手が自分と違う、それを理解しようと努力するような態度は決定的に欠けている。そこらへんどう成長を見せるのか。

 

「私何を言われても、この国の平和を守ります。みなさんとは違う、違うやり方で」

「つばさちゃん……」

「つばさちゃんダメっす、ツバサちゃんはガッチャマンに必要っす。僕はずぅーっとそう思ってるっすよ」

 

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 そして、カッツェがゲルサドラから逃げ出したという事実に戦慄する一同。

 

「てぇめぇらあの赤豚に勝とうなんざ二万年早いわぁ! このミーですら、ガクブルで逃げ出したちゅうのにぃ。あ、ガッチャマンオワタ、まじオワタ♪ (ry」

 

 

・リズムくんに面会して助言を求めるるいるい

 

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「みんな、これから本当のサルになる」

「どういうことですか」

「考えろ、お前はサルじゃないんだろ」

 

「あっという間だぞ、覚悟しろ」

 

 実際すべてを自らの意志で投げ出す選択を与えられた大衆というのはどういう風になっていくのでしょうね。

 自分の都合通りにならんければ、自分で選択しておきながら、怒りだすかもしれません。

 または、どんな決定をされても自ら考えられないので、従順になるのかもしれません。

 はたまた、管理者の作り出す秩序がうまく機能せず、ヒャッハーな世界になるのかもしれません。

 

 

・吸い込まれた心の色が返り、赤い吹き出し様からくうさまが生まれる

 

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「なんだ、今の」

 

 ゲルサドラ自身も知らない?

 カッツェが恐れていたものとは違うのですかね。

 

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 そして吹き出し様から「くうさま」が現れる。

 (声が)かわいい。

 

「ゲルルゥ」

 

 展開の不穏さに拍車がかかってきました。

 このマスコットのような存在がどう振る舞うのかよくわからんですね。

 でも、みんなの心の色を無理矢理にでも一つにするような方向に振るまいそうですが。

 そう言ってみると怖いですね。

 来週以降の展開がきになるところ。

 

 は? 24時間テレビでお休み?