るいるいの闇堕ちフラグについて ――ガッチャマンクラウズ インサイト 感想
「私が証拠です、私を見ればわかります。Xを管理している爾乃美家累が私のようにならないと、誰が言えるんです」
このセリフもうちょっと考えてみたいですね。
当然なんの伏線でもないはずないので、るいるいがリズムくんみたいに闇堕ちしそうな感じなんですが。
すがやんが、Xが管理してるから青クラウズは大丈夫とか、フラグ建立しちゃったんで、まず青クラウズは大丈夫じゃない。
しかも、Xがダメになるっぽい。というか、るいるいの闇堕ちとセットで考えると、るいるいがX使って何かやらかしそうな気がしてならない。
「私のように」というのはどういう意味なんでしょう。
リズムくんがやっていることは、「暴力」でもって、自分の意志を押し通すやり方です。
それと対称的な位置にあるのが、このアニメでは「対話」ですかね。
お互いの立場を尊重したうえでの「対話」。
民主主義的には、単に多数決でもなく、「弁証法的な意思決定」。
今のところそれをはっきりやろうとしていたのは、はじめちゃんとるいるいだと思います。
僕的に無抵抗不服従の態度の意味を解釈すると、暴力で自分の意を押し通そうとする輩に、その「やり方」には絶対屈しないし、同じ「やり方」で対抗もしない、「私は何をされても私であり続ける」という魂の意思表示をすることで、「相手を対話の次元まで引きずりおろす」というようなことです。
じゃあ、結果はどうなったかというと、赤クラウズという暴力に対して、ガッチャマンという正義の暴力が出てきて事態は収束しました。
正義の力が悪の力を圧倒した瞬間、リズムくんはあっさり引き下がります。
さて、このシーンの示唆するところは何でしょうか。
たぶん、「結局人間は、お互いの違いを尊重しながら対話することは不可能で、最後には勝者の論理しかないのである」ということを結果的に証明した、ということじゃないかと。
リズムくんの目的は、クラウズという危険な力を一掃することだけじゃなく、力でもって正義を押し通そうとする自分が、別の力に敗れることだったわけです。
ガッチャマン強い! やっぱり正義は勝つんだなぁ!
とまあ、この件を通してるいるいがそのことを認める場合、るいるいは「私(リズムくん)のように力で自分の正義を押し通す」ようになるのかもしれない。
その場合、なんでしょうね。単にクラウズを廃止するのでは面白くないし。Xを使って徹底した管理を敷くのですかね。
ずっと、人間を信じると言ってやってきたのに、るいるいが絶対的な支配者としてディストピアを築き上げるのですね!
なんだやっぱりるいるい涙目じゃないか。
あと、考えることがあるとすれば、民衆というのは所詮他人任せの愚衆でしかないということを証明した、とかですかね。
自分の頭で問題に向き合い、対話し、協力しないがら何かを解決する力を持つことはない。
結局、分かり易い力や、耳障りの良い言葉、それらを見せてくれるカリスマに丸投げすることしかしない。
自ら考え、自ら行動し、自ら責任をとる、そうすることでより良い人間として成長(アップデート)していくことなんてありえないのだと。
何も考えないが故に、何も責任をとれないというのは、よく日本社会について言われる「無責任の構造」というやつです。
ここに「空気」なんてのが絡んでくることで、「総無責任社会」なんてのが出来上がったりします。
つまり全員空気に流されて、何も考えずに行動するので、その結果に対して、元となった意思決定の主体が不在になるのです。
何かが起きているのに、責任の主体が本当にどこにもいないということがマジで起こりまくるわけですね。
で、かつての戦争風にいうと「総懺悔」みたいなことになるわけです。
恐ろしい話、そんな社会では下手に意思表示をすると、全ての責任を無限に負わされるような事態になるので、みんなあえて「考えることをしない」ようになる。
考えなければ、自分の意志をもたないで済む。意志を持たなければ、ことが起こったとき責任の主体になることを回避できる。
何が起こっているのか、自分が何をしているのかわからないまま、なし崩し的に戦争してみたりするのです。
と、まあいい加減脱線してるよーな気もするのでやめましょう。
ともかく、このような社会である場合、じゃあ誰かが管理するしかないみたいな話にもなるわけですね。
リズムくんは、何も考えない、何も責任をとれない民衆に絶望しているのでしょう。
だから、そんなバカ共にクラウズ配布するとかばかじゃねえの? となるわけですね。
さてるいるいもリズムくんみたいに絶望しちゃうのでしょうか。
楽しみですね。